岩鼻の大岩壁は、千曲川によって削られて生まれました。
「岩鼻」の名前のとおり、まるで大きな鼻のように見える大穴は、千曲川の力強い浸食力を物語り、雄大な景色をつくりだしています。
向かい合う岩鼻と、そのすそを洗いながら悠々と流れる千曲川の広大な景観との調和の美しさが認められ、日本百景の一つに選ばれました。
上田道と川の駅 からの眺め
対岸(塩尻)からの眺め
北陸新幹線上田駅~長野方面五里ヶ峰トンネル間からのE席側車窓
むかしむかし、湖のほとりに、田畑を荒し、食べ物を食い荒らすなど悪さをして村人を困らせている大ねずみがいた。困った村人は、西の国から大きな唐猫を連れてきて、大ねずみを退治してもらうことにした。
唐猫に追い詰められた大ねずみは、岩鼻の岩を食い破って逃げようとすると、岩が崩れ、湖の水は轟々と流れ出して千曲川となり、大ねずみは流されてしまったとな。流れて打ち上げられた先は隣の坂城町「鼠(ねずみ)宿」と言われ、その會地早雄(おおぢはやお)神社の祭神の一体は、「鼠大神」とも称されている。
唐猫は・・・?
さらに先の篠ノ井の辺り、千曲川が大きく右カーブした左岸に、「軻良根古(からねこ)神社」が祀られています。
こうして上田に陸地が現れたとな。
この伝説について地学の先生に聞くと、
3万~4万年前のお話しで、当時は半過岩鼻と対岸の塩尻岩鼻が天然のダムとなって千曲川をせき止めており、上田は湖の底。その痕跡は高さ100mの千曲公園上に、川原にあるような丸い石が見られる。やがて「ダム」が決壊して千曲川が流れ、上田に陸地が誕生した。伝説と地学が結ばれ、めでたしめでたし。
(更にその昔は、上田は深い海の底だった)